ACと言わない理由
昔、アダルトチルドレン(以下AC)がマスコミに盛んに取り上げられた頃、
私もACだという自覚を持っていた。
元々は、アルコール依存症の者がいる家族において、
その子供たちに、ある性格的な傾向が見られたために、
それを見たケースワーカーが称した概念。
それが、いわゆる機能不全家族の子供にも言われるようになり、
酒の苦手な親を持つ私も晴れて(?)ACとなった。
が、日が経つにつれ、自分のことをACだと思わなくなっていった。
私の両親は、1歳の時に離婚している。
父方に引き取られたため、実母の記憶はない。
ところが、その父方の家は、祖父を頂点とする権力構造があり、
そのなかで育った私は、人間とはどこかが違って育ってしまった。
私の生い立ちを簡単に言えばこんなところか。
そんな家の事情を抱えて育ってきた私が、
社会に出てから生きにくさ・社会的な息苦しさを感じ、
それと前後して流行ったエヴァの影響もあって、
(…とか書いているが、実は私はエヴァはあまり見てない)
私がACだと自覚するのも当然の流れだった。
Windows95が発売され、ネットが少しずつ普及し始めた頃。
ACを扱うサイトで、同じような機能不全家族で育った、その他のACと交流するようになった。
違和感を覚えたのは、それからどのくらい経っただろうか、
定かではないが、せいぜい何ヶ月かという頃だと思う。
サイトで知り合ったあるACの人が、こう言っていた。
「親を信じることが出来なかった私は、今まで他人なんて信用できないし、関わりたくないと思ってた。
でも、こうしてみんなと出会って分かった。
私は、本当は人間が好きなんだって」
その言葉の純粋さゆえ、私の心にチクチクと刺さってきた。
実は、彼らAC仲間と一緒にいることは、
楽しいのは楽しいのだが、ある程度時間が過ぎると、
早くここから離れたい、一人に戻りたいという、
天邪鬼な欲求が湧いてくるのを自覚していた。
ただ、それがなぜなのかはずっと分からなかったが、
彼女の言葉を聞いた時、その欲求が何なのか悟った気がした。
私は結局、人間を好きになれていないのだ。
その後、職場で、プライベートで、人と会ったりしても、
そそくさと帰る自分がいる。
帰る際はヘッドフォンを耳に当て、
外からの声をなるべく遮断し、自分の世界にこもる。
そうして遮断することで、何とか自分を保っている。
街で道を尋ねられるのがひどくイヤで、
大きなヘッドフォンをすれば聞いてくる人はいないだろうと思い、
そうしてみても、聞いてくる人は聞いてくる。
なぜ?私より話しかけ易そうな人は周りにいそうなのに、
なぜヘッドフォンで遮断した私に話しかけてくるの?
これ以上言うと話の筋からどんどん離れていくのでこの辺にしておくが、
人との関わりを、頑なに拒もうとする自分がいるのである。
これは、AC的な要素を治療しただけで解決するものなのだろうか?
違う気がしていた。
ものの感じ方がおかしいと、ポイントがずれていると言われることがよくあった私は、
その感受性のずれをどうにかしようと思って、話を聞いた後に、
話者と内容を確認し合ったのだが、
実際その話のとおりに実行している(少なくとも、私はそう思っている)のに、
話者の方から、違うと言われてしまう。
それによって生じる居心地の悪さは、家族に対する認識や、
自分の過去を捉えなおしたところで、変わるものではないと、
あの時から年月が経つにつれ、確信に変わりつつあった。
ACは、いずれ人間が好きになれる。
私は違った。
どうしても、人間が好きになれない。
だから、私自身は、「人間」になれていないのだ。
今日もまだまだ、不合格。


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私もACだという自覚を持っていた。
元々は、アルコール依存症の者がいる家族において、
その子供たちに、ある性格的な傾向が見られたために、
それを見たケースワーカーが称した概念。
それが、いわゆる機能不全家族の子供にも言われるようになり、
酒の苦手な親を持つ私も晴れて(?)ACとなった。
が、日が経つにつれ、自分のことをACだと思わなくなっていった。
私の両親は、1歳の時に離婚している。
父方に引き取られたため、実母の記憶はない。
ところが、その父方の家は、祖父を頂点とする権力構造があり、
そのなかで育った私は、人間とはどこかが違って育ってしまった。
私の生い立ちを簡単に言えばこんなところか。
そんな家の事情を抱えて育ってきた私が、
社会に出てから生きにくさ・社会的な息苦しさを感じ、
それと前後して流行ったエヴァの影響もあって、
(…とか書いているが、実は私はエヴァはあまり見てない)
私がACだと自覚するのも当然の流れだった。
Windows95が発売され、ネットが少しずつ普及し始めた頃。
ACを扱うサイトで、同じような機能不全家族で育った、その他のACと交流するようになった。
違和感を覚えたのは、それからどのくらい経っただろうか、
定かではないが、せいぜい何ヶ月かという頃だと思う。
サイトで知り合ったあるACの人が、こう言っていた。
「親を信じることが出来なかった私は、今まで他人なんて信用できないし、関わりたくないと思ってた。
でも、こうしてみんなと出会って分かった。
私は、本当は人間が好きなんだって」
その言葉の純粋さゆえ、私の心にチクチクと刺さってきた。
実は、彼らAC仲間と一緒にいることは、
楽しいのは楽しいのだが、ある程度時間が過ぎると、
早くここから離れたい、一人に戻りたいという、
天邪鬼な欲求が湧いてくるのを自覚していた。
ただ、それがなぜなのかはずっと分からなかったが、
彼女の言葉を聞いた時、その欲求が何なのか悟った気がした。
私は結局、人間を好きになれていないのだ。
その後、職場で、プライベートで、人と会ったりしても、
そそくさと帰る自分がいる。
帰る際はヘッドフォンを耳に当て、
外からの声をなるべく遮断し、自分の世界にこもる。
そうして遮断することで、何とか自分を保っている。
街で道を尋ねられるのがひどくイヤで、
大きなヘッドフォンをすれば聞いてくる人はいないだろうと思い、
そうしてみても、聞いてくる人は聞いてくる。
なぜ?私より話しかけ易そうな人は周りにいそうなのに、
なぜヘッドフォンで遮断した私に話しかけてくるの?
これ以上言うと話の筋からどんどん離れていくのでこの辺にしておくが、
人との関わりを、頑なに拒もうとする自分がいるのである。
これは、AC的な要素を治療しただけで解決するものなのだろうか?
違う気がしていた。
ものの感じ方がおかしいと、ポイントがずれていると言われることがよくあった私は、
その感受性のずれをどうにかしようと思って、話を聞いた後に、
話者と内容を確認し合ったのだが、
実際その話のとおりに実行している(少なくとも、私はそう思っている)のに、
話者の方から、違うと言われてしまう。
それによって生じる居心地の悪さは、家族に対する認識や、
自分の過去を捉えなおしたところで、変わるものではないと、
あの時から年月が経つにつれ、確信に変わりつつあった。
ACは、いずれ人間が好きになれる。
私は違った。
どうしても、人間が好きになれない。
だから、私自身は、「人間」になれていないのだ。
今日もまだまだ、不合格。

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